人間とは球体である
いつだったか「あぁ、人間って球体なんだな」と妙に納得した頃がありまして
よく言われる「いくつも顔を持つ」とかと似た意味なんです。
地球は自転していることで太陽が当たる位置が変わるじゃないですか?
それで朝と夜が生まれるんですが、
夜の部分が見えないからといって消滅した訳ではない。
太陽のように光が当たって見えるところが変わることで
【見え方が変わるだけなんだ】と妙に納得できまして。
これが何故、「人間とは球体である」という論にたどり着くかと言うと
「あの人は好奇心旺盛だ」と「あの人は慎重な人だ」は両立できるんですよ。
評する人がどこに焦点をあてているか(どこに光を当てているか)で
全く見え方が変わるだけ。
「好奇心旺盛」に光を当てたからと言って、「慎重な人」が消滅するわけではない。
何なら評する人のモノサシで変わるものでさえある。
この「人間は球体」を思うようになってから、良い意味で大らかになりました。
だって、電車でキレ散らかしてる人も今は「キレ散らかしている」に光が当たっているけど、光が当たっていない所には「良きパパ」や「頼りになる上司」があるかもしれないし。
もっと言えば、球体の中はもっと見え方が違うんだろうな、と。
視点が変わると人生は豊かになるよね。という話
0コメント